そんな時ふと
宗教の話とか考え方について語った時、あらわれる。
感覚が違う!と思ったら、スルーして他の話に切り替える。
人それぞれ育った環境も、目指すものも違う。
深い芯の部分だからこそ、押し付けは無用。だがその人をみて、「なるほどこういう考え方もあるのか」と腑に落ちる。
理解しあえる人たちとは、こちらの努力は必要ない。
話したことで、感じ方考え方が違う人こそ、自分にとってはスタートなのかもしれない。
人と触れ合い、語り合うことで、どう自分をきちんとアピールできるのか。
人の考え方に寄り添うことだけが全てではない。
自分というものがあって、初めて成立する。
日頃、共にいて理解しあっているつもりの仲間たちも実は、妥協もあり全部は理解しあっていないのかもしれない。
そんな時、自分のことを知らない普通では出会わなかった人との新たな出会いは、自分見直し自己修整できる場として必要だ。
歳を重ね、ますます人と人との大きな和ができて、平和につながっていると思えるからこそ思う。
例えば震災や困難が訪れたとき、聖書に書かれていることが本当にできるのか。
読むだけでなく、リアル自分は動けるのか。普段の生活でもいえること。
わかりあえる人ばかりの狭いコミュニティだけでは推し量れない。
知らない環境や人に積極的に触れて、自己アピールの方法、信頼しあえる関係を失敗し繰り返し、痛い思いもしながらじゃないと進化なんてない。
人生は死ぬまで勉強‼️
学びに終わりはない。
弱っている時こそ、柔軟に個々を尊重しあい、一人一人が自立していけたら幸せだろう。
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